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今や世界を代表してしまうグループ、BON・JOVI。決してボンジョビではなくボンジョ ヴィです。下唇をかるくかんで、発音してみましょう。 僕とBON・JOVIとの出会いは、小学校5年生のときでした。SANYOのCDラジカセのCFで 彼らの曲と映像が使用されていたのです。曲はBadMedecine、キャッチーなコーラスが 印象的で、思わず『この〜おじさんべ〜っめでぃすぁん〜』という風に口ずさんで いました。カッコイイジャン、ボンジョヴィッテ!!それまでは、母親の影響でビートル ズとか60年代のポップスばかりを聴いていたので、全く新鮮な若さ溢れるBON・JOVIに 完全にノックアウトされてしまいました。このときから、彼らは僕にとってとても 気になる存在になったのです。 5年生の秋頃にFM放送の楽しさを知り、よく聴いていました。正月の帰省から自宅 に戻ってきて聴いたのがFM福岡『ベルノ・プログラムワン』で組まれた特集『ロックカ ウントなんたら』でしたが、デフレパとかヴィクセンがかけられ 番組も終わりに近付いたころ、DJがこんなセリフをかましたのです。 『元気印ナンバーワンはやっぱりこのバンド、BON・JOVI、BadMedecine!!!!』 アイワのラジカセから流れて来る音に鳥肌がたったことを覚えています。 もちろんテープにばっちり録音しました。そのテープが僕にとっての唯一のBON・JO VIの音源、つまりマスターテープのようなものでした。他のバンドも良かったのですが 、やはりBON・JOVIが一番でしたから、74分テープを姉からもらってその両面にBad〜一 曲をいれまくって聴きまくったものです。この時の放送では、ギターソロが終わって、 ジョンが"Wait a minute!!と叫ぶ箇所でフェイドアウトされていたのですが、これを 聴きまくった僕はこれが正式なヴァージョンだと思い込み、後に曲の終わりかたを めぐる友達との賭けに負けたことがあります。 やがて、彼らのアルバムをフルに聴く機会が訪れました。友達の父親がCDを沢山 持っていたのですが、棚の中に、処刑ライダーのサントラや長淵剛にまじって、 New Jerseyが鎮座していたのです。僕は当時高価だったメタルテープを手に入れ、 さっそくコピーさせてもらいました。たしか、小遣いが月額600円だったと おもいます。 アルバムの音を入手したことで、ブルージーなBON・JOVIの一面も知り、相変わらず BON・JOVI三昧の日々が続きます。安いヘッドフォンステレオで、どこへいっても BON・JOVIを聴いていました。 やがて、小学校を卒業、中学生になりました。まわりの人は運動部で汗を流して いましたが、僕は帰宅部同然だったので毎日の放課後がひまでひまでたまらず、新聞 配達のアルバイトを始めました。ズボンのポケットにはやはりBON・JOVIのテープ。 音楽を聴きながら配れば、元気が出たのです。 配達途中、なぜか耳に残る印象的なパートが、名曲Living in sinのサビ部分の バッキングギターでした。全くシンプルな一見なんでもないバッキングなのですが、当 時の僕には大きな感動をもたらしたのです。配達途中に見える夕焼けと、ゆったり たっぷりとしたバッキングが見事にシンクロしていたのでしょう。これが、 僕がギターを手にするきっかけです。 どうしたことか、むしょうにギターが弾きたくてたまらなくなりました。配達で 団地の階段を登り降りしながら、右手はギターを弾く真似をしていたことを 思いだします(ほとんど変質者だ!)。リッチーサンボラは(当時は名前を知らなかったが) 僕にとって特別なギタリストなのです。 新聞配達によって、少しは経済力も増しましたので、BON・JOVIのCDを買うことも できるようになり、今では当然のようにアルバムを揃えています。でも、小学生の 頃、ビロビロに伸びるまで聴いたカセットテープはいまでも大切な思い出、僕の原点 であり、大事に保存してあります。当時はやったインデックスシールで灰色のカセット ケースに転写された、"BON JOVI NEW JERSEY MASTER"の文字を見るたび、 ひとつの音楽を一生懸命に聴いていた純真無垢なあの頃がうかびます。 脳裏には夕日が横たわり、アランフェス協奏曲第2楽章がながれてくる........あぁ。 雑記の目次に戻る |